商品の説明
会津本郷焼の徳利です。こちら全体的に黄色みがかった白色ですが所々に青い釉薬の点があります、焼成時の窯変による現象です。
長沼の土のような印象を受けましたが図録等を参考にした結果、会津本郷の可能性が高いかと思われます。
目立つキズは見当たりませんが自宅保管品&品につきご理解のある方宜しくお願い致します。
明治頃の物かと思われます。
窯キズに見える箇所もあります画像にてご確認下さい。
古いものですので完璧を求める方や神経質な方はご遠慮下さい。
会津本郷焼の陶器の歴史↓
会津本郷焼は正保四年藩主保科正之が、城改築を契機に、かねがね冬期間シミ割れする屋根瓦の改造を思いたち、当時岩瀬郡長沼村(現長沼町)で作陶に従事していた尾張瀬戸の陶工水野源左衛門を招き良質の粘土を探らせる。源左衛門はやがて大川の対岸本郷村(現本郷町)の山にきわめて良質の陶土を発見し、作陶の準備を進めていたがまもなく同年の十一月に病死してしまった(浄光寺陶祖廟)。源左衛門の死後、慶安元年(一六四八)藩主は弟の長兵衛を同じ長沼から呼寄せて跡を継がせた。兄源左衛門の遺業をついだ長兵衛は製陶に情熱を傾け、日夜研鑽の末、厳寒にも耐える施釉の本焼瓦を作り、また茶人正之公に茶陶を作って献上するなど数々の功績を残し、のちに藩公から初代瀬戸右衛門と名を賜わった。その後、本郷およびその周辺に赤砂石土・新山土・草山土・砥石・五畳敷土など良質の磁器原料が発見され、 磁器を焼こうとする気運が盛上がり、これ以降会津の磁器生産が本格的に始まる。
因みに長沼焼とは会津本郷以前より長沼の地にて水野源左衛門・長兵衛ら兄弟により生産されていた焼き物で、陶家の覚え書きには昨陶に関する記述が残されており、また「新編会津風土記」には正保二年に若松城下に来て小田の瓦窯などで働いているうちに、熟達したその技術が見込まれ本郷に築窯して召抱えられたのが正保四年であるという事も記されています。
大きさ→高さ約27cm
即購入された方は納得の上購入されたと認識しますので購入後に「思っていたのと違う」等無きようしっかりと写真を見てからご購入下さい。
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商品の情報
カテゴリーホビー・楽器・アート > 美術品・アンティーク・コレクション > 工芸品 > 陶芸商品の状態目立った傷や汚れなし発送元の地域宮城県